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境界線の崩壊


最近思う。
散々死にたいだの殺せだの死んでやるだの言ってきたが。
大元にあったであろう、その理由が、自分の中で薄れてる。
というよりも、論破されて崩れかけてる、と言った方がいいかもしれない。

自分のやってきたことを罪と呼んで断罪を断罪をと騒いでいた。
自分の存在そのものが邪魔で消えろ消えろと散々つぶやいていた。
自分のことが嫌いで死ね死ねと繰り返している。それは今もだ。

けども、どれもこれも結局は自分がそう決め付けているだけだ。
何も分かっていない自分が、分からないまま、分かろうとしないまま、
自分とはそういうものだと決め付けているだけだ。
決め付けた内容すべてが嘘だとも思えないが、
決め付けた内容すべてが本当だとも、思えない。

だとしても、生きることを望めるのかと言えば、それは別問題だ。
決め付けをやめたとしても、望みはそう簡単に変わらない。
でも「生きたいとは全く思ってない」と言えばそれもまた嘘だろう。
そう考え始めると、すべてが崩壊していく。

最終的に「自分が自分である必要そのものがないだろう」と木霊する。
「殺したかった自分を生きながらにして殺してしまえばいい」とも表現する。
その先で笑う気配がする。それが一番恐ろしい。
自分の決めつけが崩壊することよりも、何よりその先で笑っているものが、
自分との境界線を崩壊させて近づいてくることの方が、何より恐ろしい。
馬鹿げた創造の中に生まれたものが、馬鹿な創造主と混同されるのか。
理想と掲げ虚無に存在した世界が有限に溶けようとでもしているのか。
なんだそれ。
恐ろしい。

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迷走


求めていた状況に近づいている。
求めていた状況から遠退いている。
まだ死を探してる。
死ぬための理由、死ぬための言い訳を探してる。

いい加減にしろ、と言われている気もする。
けれども、そうそう変えられない。
ひたすら自分の罪を数え上げて、自分に断罪を求めて。
愚かさ醜さを並べ立てては、それを死ぬ理由にして。
すべては勝手な行動でしかなく。勝手な判断でしかなく。
「認めない」と言われるからこそ、
こうやってグダグダいいながらダラダラ生きてる。

何がいけないんだろう。
何が理想なんだろう。
自分で自分のことも決められない。
自分で自分を殺すことを許してもらえない。
すべてを無視すればそれだけで解決するんだろう。
それをしないのは、自分が悪い。
自分がそうしてるだけ。
どうにかしたいなら、自分をどうにかしなきゃいけない。
何も複雑なことはない。
たったそれだけのことを。
一体何年繰り返すんだろう。

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過去をなぞるだけの無駄な文章


通学に使う電車の中、毎日でかい独り言で
周りを困らせているおっちゃんの話し相手をして、
ゴミ処理場での仕事のやなこと楽しいこと
いろいろ聞いて、ありがとうと感謝される
人生はそれはそれで面白いかもしれない。

休みの日、突然家にやってきた不動産の新人が
新築見学しませんかなんて言うもんだから
暇人気まぐれにちょこちょこついて行って話を聞いて、
帰りに『今の仕事をやめたいんだ』と相談を受ける
人生はそれはそれで面白いかもしれない。

種屋の5階、植木で大森林状態の階段と通路を
潜り抜けた先にある部屋の中、鶏とスズメと芋虫と
ゴキブリを飼ってる英語教室で、腹筋背筋させられ
肺活量測られ謎の実や謎の薬膳スープを食す
人生はそれはそれで面白いかもしれない。

友人に宗教関連の集会に誘われてホイホイついて行って
静まり返ってるのに異様な空気の大ホールで
長々と演説を聞いた帰り道に、自分の考え方をあれこれ
ブツブツ言って、そんなしっかりした考え方持ってるのかと
ドン引きさせる人生はそれはそれで面白いかもしれない。

ある日を境に登校しなくなった友人と久々に遭遇して
また8組帰っておいでと話をしたら、すごいなこの学校
8組まであるんやと返され、別の子に話を聞いたら
病気で休んで勉強についていけないし周りにもきっと
悪く思われてるとプレッシャー感じて記憶喪失になったらしいと
聞かされる人生はそれはそれで面白いかもしれない。

生きる理由なんて重々しいタイトルをつけたくせに
内容は完全ギャグの台本を書いて文化祭の演劇でやって、
成人式のときに当時担任だった先生に遭遇し
『生きる理由は見つかったか?』と真顔で問われ、さらっとハイと
答えておきながら、内心見つかってねぇよコンチクショウと
返す人生はそれはそれで面白かもしれない。

『僕には人の心が分かる』と熱弁する同学科で企画志望の
見知らぬ人から突然デザインを頼まれたものの、
じゃあオレが死にたいと思っていることを分かってるのか
とか言う問答をチャットで1週間やって『そうか僕は人の心を
分かってなかったのか』と納得させ、企画どころか相手の
人格も自信もぶっ壊す人生はそれはそれで面白いかもしれない。

自作アニメの背景担当をやって欲しいと友人に頼まれ
事細かにコンセプトや世界観を聞きながら時間をかけて
描いておきながら『たとえ100回描き直してもそっちが
思い描いてるものは他人である自分には描けない意味がない』
と言い放って『なんで頑張って描いてるのにそんなことを言うのか』と
友人を泣かせるような人生はそれはそれで面白いかもしれない。

友人に企画書の添削とイメージ絵の作成を依頼され、
フィードバックしながら下手な絵を提供すること半年、
ある日その友人が所属する研究室の教授に、
『あいつの企画書から個性が消えていく』と愚痴られながら、
1年後に更に個性がなくなった企画書片手にまた依頼しに来る
友人を相手にする人生はそれはそれで面白いかもしれない。

死にたいのに好きとか理解不能な理由を押し付けんな
マジ殺すぞと脅せば『死ぬときは真っ先に私を殺しにきてね』
とガチで言い放つド天然女性な友人が、今度結婚するから
結婚式に来て欲しいと連絡してくるもんで、呆れて即答で
断る人生はそれはそれで面白いかもしれない。

『十分頑張ってるのに自分を頑張ってないと責めてる気がします。
あんな素敵な絵を描けて、深い思想を持つあなたが私は大好きです。
相談でも愚痴でも何でも聞きますから、どうかそんなに自分を嫌わないで』
とかいうメッセージを飛ばしてきた自称14才にあれこれ吹き込んで
『良い事を知りました!馬鹿は褒め言葉だ!』
と言わせる人生はそれはそれで面白いかもしれない。

『なんで自分のフォロワーは人生のガチ勢ばっかりなんだ』と愚痴ったら、
『御自身が人生にガチで問いを持ってるからでは?と言えば多分、
あなたは「なんでそう言えるのさ?」って言うと思う。
でも、自分が想うなんらかのことがどうして正しいのか、
とつねに疑い続ける懐疑主義的なところはガチ勢じゃないと
続けられないっていうのは、有ると思う』
と返される人生はそれはそれで面白いかもしれない。

他にもあれこれある人生はそれはそれで面白いけども、
テレビでも映画でもアニメでもない『現実ゆえに平凡』な内容は
黙っていれば存在すらしないような儚いもので、
共有化できるようなものでもなく一定の評価も存在せず、
無意味で無価値なものなんだろうなとか嘲笑して、
全部ドブに捨てようとする性格は、やっぱり他人の言うとおり
天邪鬼で根性が悪いんだろうな、とか思う今日この頃。

『長いわ読みにくいわ文章としてどうなのよ』と思われてもしょうがない。
読ませる気がない理解される気がない。でも見る人によっては
何か思うところがあるかも。ないかも。とか。アートってそういうもの。
アーティストとしてなら許されたかもしれない。
クリエイターなら許してもらえない。何故って、どう思われるのか、
伝達したい情報をすべて計算してモノを創らなきゃいけないのが
クリエイターの仕事だからじゃない?Maybe.

ちゃんと情報伝達したいならクリエイティブライティングじゃなくて
テクニカルライティングを勉強しなきゃいけないんだよね。
あれ変だな。なんで『クリエイティブ』ってついてる方じゃダメなんだ?
そりゃ理解されなきゃゲームは成り立たないからだよ。
ほんまでっか?そもそもその解釈自体間違ってんじゃねーの?
なるほどその通りだ。ふりだしに戻る。あれ自分何してたっけ?
また無意味無価値なことで時間を無駄にしたわ。

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生じる火花


思い返すたびに自分の愚かさを嘆くも
まるで引きずられるかのように遠くまで突き進み
ただただ愚かな行為を繰り返しているだけの自分に
苛立ちと恨みと憎しみと嫌悪と・・・ありとあらゆる刃を向ける。
怒り嘆きを自分にぶつける。
でも何も変わらない。
自分では何も変えられない。
ただ。
言いたいことがある。伝えたいことがある。
はっきりと言葉にしなければならないことがある。
そうでなければ、怒り狂う自分を宥めることなんかできない。
納得させることなんかできない。
得てしまった何かを、オレは、自分に、渡さなければ。

確かに自分は何も知らない。
だから与えられたすべてが正しい。
それは自分すらも含めるべきもの。
自分は自分が間違っていることを知らない。
自分が正しいということも知らない。
自分である権利を持っていたとしても理解していない。
だからこそ。
否定なんかできない。決定なんかできない。
自分には何も。ない。何一つ。ない。

ただ。一つ。たった一つ。
自分が理解でき、自分に一番近いもの。
『自分』という、この、存在。
自分ではない何かと繋がっていると思われる『自分』という存在。
『自分』は自分ではないもの、他を訴える。
他は訴える。自分に向かって。『自分』を通じて。
そこに生じる対話は、価値を生み、意味を生む。
自分自身に価値はない。意味もない。
他も同じく価値も意味もない。
価値があり意味があるのは対話。その動ある瞬間。
まるで火花のように散り、一瞬で消える。
永遠の価値には成り得ず、永遠の意味を持つわけでもない。
儚く淡く弱く脆い。
モノに意味や価値を求めるのが過ちなんだ。
そこに生じる対話こそ、少なからず人が求めているものだ。

世界にとってこの火花は価値があり意味があるものなのだろうか。
そこが問題だ。
そもそもオレが存在を疑うその現象は、どこを指しているのだろうか。
それは未だに分からない。
でも。少し。何かがぼやけて見えるような。何もないような。
そんな感覚。

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訴える


いくら否定しても現実は変わらない。
いくら納得できなくても現実は変わらない。
こんな世の中に何を望むのか。
ありとあらゆるものを包容する世界に何を望むのか。
すでに完成形であるこの世界に何を望むのか。
違う。
否定されれば変わってしまう自分。
納得されなかったら変わってしまう自分。
何一つ包容できない自分。
不完全である自分。
そんな自分を。変えろと。
世界は、言うんだろう。

変えてなんになる。だからなんなんだ。
馬鹿げてる。あぁ。馬鹿げてるよ。
自分なんて死ねばいい。
それだけ。
それだけなんだ。

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