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あのさ

荒らしと化すなら消すよ?
感想を述べるなら「何を見て」そう思ったのかはっきり言いなさい。
「感動した」「よかった」ならコピペでも書ける。
アフィリエイトなら尚のこと、もっとマシなところへ行きなさい。
ここの総アクセス数は1日1回あるかないかだぞ。

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生き方


自分の中で既に答えが出てしまっているものを、
ねじ曲げるのは非常に困難だ。
自分自身ですら曲げ方が分からない。
でも気が付いたときには曲がっていたりする。
予測不可能で。
どうすることもできない。

飾らずに語るなら。
人は誰しも、意味も理由も持たずに生まれて来たんだろう。
偶然生きて、偶然死んでいく。
それは現象と見れば必然なのかもしれないが。
自分の意志の中で言えば、予測不能な出来事は
なんだって偶然だったり、奇跡だったり、
そういう部類のものでしかない。
だから最終的に気持ちの問題になってくる。
自分の命を大切に思えるのなら、それは生き甲斐のある
人生を過ごすことに繋がるだろうし、
自分の命がゴミに思えるのなら、それは生き甲斐のない
人生を過ごすことに繋がるんだろう。

なら自分はどうだろう。
どちらかと言えば、自分の命をゴミだと思っている。
でも別に、生き甲斐がない、と思っているわけじゃない。
いろんなことを感じる。触れられる見られる。それは幸せだ。
ただ、この世界において、自分が必要なものなのか、
と聞かれれば、黙って首を横に振るだろう。
そして、別に必要にされたいと望んでいるわけでもない。
むしろ。
必要とされていないのに、生かされていることに、疑問を感じている。

為体の知れない言葉に耳を傾け、何かを訴えている自分がいる。
何故生かすのか。何故殺してくれないのか。殺してくれ。
何度も何度も、重ねるように。
それでも何も変わらず、今の今まで生きてしまった。
何かの気配は感じてる。何かの言葉も感じてる。
でもそれが本当に求めている何かだとは分からない。
ただ宛もなく。仕方なしに。
ソレに思うことをぶつけて。
結果、自分が壊れていく。

そう言えば。
感謝の言葉を。言わされたことがあった。
何度も、何度も、しつこく、でも待つように。
ありがとうと、ゆっくり言葉を綴られて。
言ってごらん、と言われている気がして。
不安ながらも、なぞるように、
ありがとう、と返したことがあった。
自分には感謝するという行為が欠けている。
そんなことは分かってる。
でも、それが悪いことだと思えない。
感謝したところで、何にもならないのだから。
ただ。
それがとても大事なことなんじゃないかって。
どこかで、そう思える。
分からないけど。

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狂った感覚


デジャブのように思い出したことを、
ちゃんと思い返そうと、自分の昔を掘り返す。
はじめてコレを感じたあの時、あの頃の自分は、
どんなことを思っていたのだろう、と。

そこには為体の知れない不安があった。
どうすることもできない現実があった。

人の前で腕を抉る。腕に殺せと字を掘り歩く。
人の首を絞めて「殺さないなら殺す」と泣いた3時間。
オレの愚かさにブチぎれ、パソコンや携帯を壊し、
挙げ句、吐き気を訴える親。
それでも自分が幸せだと感じていた自分は狂っていたのか?
いや、確かに幸せだった、と改めて思う。

教室で泣いて動けなくなって、ハンカチを貸してくれた人。
勉強という勉強もせず、死ぬことばかり話すオレを
どうにかしようと泣いた人。
必死に自分には理解できないなにか大切なことを訴える人。
そこには確かに誰かがいて、そこには確かに自分がいた。
それは不幸だったか?
いや。
分からず屋で我が儘な自分が、全部をぶち壊しただけだ。



ある誕生日の文章。

おめでとうおめでとう。
みんなに囲まれ笑うこと時。
結局何人ぐらいに言われた?20人ぐらい?
会わなかった人もいるからまだ増えそうだ。
オレは一切何も言わなかったのに。
手作りのものから手紙までもらってしまった。
オレが誰かの誕生日に何かをあげたことがあった?
迷惑しかかけてないだろう?いつか殺されるかもしれなくても?
大学に入っても、会おうね。絶対会おうね。
大体この馬鹿が高校卒業出来ると思うことそのものが
世間を甘く見ている証拠じゃないのか?
嫌いと言われないことが逆に辛い。
自分の自信に呑まれて他人を見れなくなりそうで。
誰かを傷付けた確信も掴めなくて、
すべてを控えなきゃまた傷付けてしまいそうで。
自己中な自分をさらけ出したらまた嫌悪という形で誰かを傷付けそうで。
それこそが罪。

20人に祝ってもらった?
最低その20人全員の気持ちを全部踏みにじったわけだ。
ゴミに対して幸せがインフレしてやがる。



ある日のアホな会話。

「ブンちゃんブンちゃん!」
「・・・・・・」
「あぁんブンちゃん最近冷たい〜!!」
「それはきっとブンちゃんの愛やで!!」
「そうやんな愛やんな!!愛が痛いわぁ〜!!」
「・・・・・・(しかめっ面)」
「いやんブンちゃんかわいい〜!」
「ほっといたら違うメスライオンに取られちゃうでっ!」
「そうやん!私というメスライオンがいながらっ!
そんなん絶対許さへんでっ!!」
「・・・・・・」
「もー!ブンちゃん・・・っ!!」
「何かあったら何でも言ってや?なくなら私の胸の中で泣きなさいっ!!」
「・・・・・・だあぁもうお主らワケわからんのじゃああぁぁっ!!!」

今ならこんなセリフ絶対言われない。
そう思えるとちょっと気が楽になる。そろそろ赤の他人になれただろうか。
こんな馬鹿を気に留めずに楽しくやれているだろうか。
それを喜ばずして何を喜ぶ?



ある日の一文。

つか未だに手首切る直前に友達に取り上げられた
カッターナイフ帰って来てないな・・・

おい。それ返してもらったか?
返してもらったら目の前で自分の手首切ってやれ。
止めようとしたら殺せばいい。
馬鹿を生かそうとしたお前が悪いんだ、って。



きっと、昔見た理想がすぐそこまで来てる。
自分死んでも誰も文句を言わないその時が。
オレは十分幸せだったし。
それを受け入れなかったオレがおかしなヤツで。
狂った馬鹿野郎だった、と。
笑ってくれる日が来る。

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という文章を100%理解できるはずもない


人は複雑だ。
人を表そうとしても、そう簡単に表せるもんじゃない。
自分と言う人ですら理解し難いのに、他人に理解できるはずもない。
そんな状態で他人をどうこうしようだなんて、おかしな話だ。
できるはずがない。
そんなことができたら世界征服だろうがなんだろうができるんじゃないか?
まあ、その人自身が他人をどうこうできたと信じてしまえばいいと言えばそう。
勝手に思って、勝手に満足してるだけ。
文句をいう隙もない。勝手にすればいい。

何事にもいろんな要素が絡んでくる。
その要素を100%理解するのは、どんなに単純なことでも、
不可能だとオレは思ってる。
例えば『あ』という概念。
『あ』って何?と聞いて、どこまで思いつくか。
今ここにある『あ』で言えば、これはデジタルデータの一つでしかない。
『あ』を表すドットの集まり。フォント。
そのドットを表示するタイミングを指定する文字コード。
それを保存しているパソコンのメモリと番地。
文字コードを解析して実際にドットを表示するソフト。
その画面を表示しているモニター。
それを見て『あ』として認識する自分。
そこまですべてがあって初めて、とりあえずの『あ』になる。
仕組みとしてそういう手順で『あ』が成り立っている事実がある。

でも、そこから先の『あ』の事実は、人によってそれぞれ異なる。
音として脳内で再生されたなら、その声や高さがある。
その周波数は?誰の声?音の長さは?
無意識でも音である限り、そういう事実が付きまとう。
本当に音にしてしまえば、それに加えて舌の動きと息の流れが出てくる。
舌はどんな形をしていた?息はどの量だった?
吸った息のうち『あ』に使用した空気の量は何%?
他にももっといろいろある。
『あ』の書き順。『あ』と書かれていると認識できるライン。
『あ』という形ができた由来。自分が今まで『あ』を何回使ったか。
自分が知っている『あ』のつく言葉がいくつあるか。
そのすべてを説明しろ、と言われて、
100%答えられる人間がどこにいるのか。

分かっていないにも関わらず、分かった気になるかどうかは人次第だ。
『あ』という形を書けただけで100点を付ける人間がいれば、
その人にとって『あ』はその形である、ということしか見ていなし、
そこから先に関しては無保証だ。どうなっていようが知ったことじゃない。
でも、それで話は進んでしまう。
『あ』で100点が取れたなら、『あ』を100%理解したと見ていいということ。
理解できているならこれは分かるでしょう?と、次の何かを提示される。
もし、本当に『あ』という形しか理解していない人間がいたなら、
「これを声を出して読んでみなさい」と言われても、できるはずがない。
確かに自分は『あ』を100%理解していると思っていた。
なのにそれができない。何故?
悩んでも、その人の中で答えが出るはずもない。
声を出して読め、といったその人が思っている『あ』を、自分は知らない。
そうなれば、どう判断する?
その人が思っている『あ』は『あ』ではないと決めたなら、
「無理です。そんなことできるわけがないじゃないですか」
と反論することになるだろうし。
自分がまだ『あ』を理解しきっていない、勘違いだったと決めたなら、
「ごめんなさい。できません。声に出すとどうなるんですか?」
と質問することになる。
反論すれば、自分にとっての『あ』は変わらない。
質問すれば、自分にとっての『あ』は追加で情報が加わるか、上書きされる。
もっと言えば。
「プログラム中に『あ』と書かずに『あ』を表示しなさい」
と言われて、「できるわけがない」と言うか、「どうやるの?」と聞くか。
そんな差。

『あ』だけでもややこしいのに、人のことを理解なんてできるはずがない。
もし、『あの人は私のしたことに喜んでくれている』と決めたなら。
それが100%その通りだと決めたなら、一体どれだけの歪みが生まれる?
喜んでくれたから、次も、次も。
それが永遠に喜んでもらえるか?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
蓋を開ければ、その人は確かに嬉しいと思ったかもしれない。
でもそれはどこに対して思ったのか。
逆に迷惑だと思った部分も含んでいるかもしれない。
それを知らずにどこまで突っ走る?
それに、そもそもその人が『喜びたい』だなんて願ったかどうかも問題だ。
いつだって喜んでいたい人なんて狂ってる。
泣きたいときもあれば、怒りたいときもあるし、寝たいときもある。
それを理解せずに、四六時中喜ばせようと考えるなら。
それはただの自分勝手で、それでもいいと思うなら、
その判断をした自分に誰かが文句をいうことはない。
自分がそう願った。そして目的は果たしていると思ってる。
誰かがそれを願ったわけじゃない。勝手に願って勝手にやっただけ。
文句の付けようがない。

ただ。自分は100%理解していない、という事実に気が付いたとき、
どうするのか、どうしたいのか。
そこから変わりたいと思うのか、別にいいやと思うのか。
変わりたいと願ったなら、どうすべきか。方法は?
そりゃあとにかく。何を知らないのか、自覚することろから始めるしかない。
『あ』の読み方を知らない、なら誰かに読んでもらう。
何度も、何度も、読んでもらって、どこまでを『あ』と認識すべきか、学ぶ。
人の場合はもっと難しい。
喜んでもらえているかどうかを知らない。
なら喜んでいるかどうかを聞いてみる。
人によっては、お世辞を言うかもしれない。
人によっては、気に入らないことばかりを言うかもしれない。
でも100%のうち、数%は必ずそれだ。
そしてどこまで聞いても100%は分からないとしても、
あとは自分で予想するしかない。
こうかもしれない。ああかもしれない。
それが自分の思い込みか、当たっているか。
どこまで行っても予想でしかないとしても、
どんな状況になっても対応できることには繋がってくる。
予想外だったときに『嘘だ』と思えるか『そうだったのか』と思えるか。
判断するのは自分次第でしかない。

そして自分からの要望となれば、もっと難易度が上がる。
『喜んで欲しい』と願ってしまったら、自分はどうする?
どこをゴールにする?『喜ぶ』ってどこまで?何%?それはいつ?
そして、喜ばせようとしている自分に対して、
周りの評価まで気にするとしたら、周りの評価はどうしたい?
そのためにどんな手段を選ぶ?
例えばプレゼントを用意したとして。
それをあげて喜んでもらおうとしたとして。
あげた時にその人にどう喜んで欲しい?
プレゼントがもらえたということに喜んで欲しい?
プレゼントが自分の好きなものだったことに喜んで欲しい?
プレゼントが後々自分のためになるものだったことに喜んで欲しい?
プレゼントを買うためにかかった代金の高さに喜んで欲しい?
プレゼントを用意するためにかかった労力に喜んで欲しい?
そう願ったとして、それが事実になるために自分が取った行為は、
その願いを叶える確率はどのぐらい?

もし目標を達成できなかったとして。
そこでやめるのか、続けるのか、決めるのも自分。
続けると決めて、同じ方法を取るのか、違う方法を取るのか、決めるのも自分。
どれがいい、なんて簡単に言えるはずもない中で、自分がどうしていくのか。
自分だけの話じゃないことを願ってしまったときに、自分はどうするべきか。
選択肢はいくらでもある。それを選ぶかは自分次第でしかない。
そしてそれが正しかったかどうかを評価するのも、自分だ。
自分のした行為に100点を付けるかどうかは、自分次第だ。
自分が納得するかどうかなんて、他人が知ってるはずがない。

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言葉遊び


「人は繋がることを好むのかい?」
「それはどういう意味だ」
「キミが今思った意味そのままだよ」
「それはそれは。R18だね」
「・・・僕が悪かった」
「冗談だよ。気を悪くしないでくれ」
「キミは自由過ぎるね。そんなこと想いもしなかったよ」
「自由なんじゃない。最近腐ってるんだ」
「・・・」
「そんな顔をしないでくれ。ちゃんと聞くから」
「はぁ。まあ話が進まないな。つまり・・・」
「裏を返して、繋がりなく一人でいることを嫌う、だろ?」
「そう」
「そうでもないだろう?いくら何でも個人差がある」
「・・・」
「何か気に入らないか?」
「質問を変えよう。人は繋がりを断てば死ぬと思うかい?」
「?そうだな・・・指すもののレベルによるんじゃないか?」
「どの程度のものを繋がりと呼ぶか、か?」
「あぁ。根底までレベルを下げれば、個人なんて概念もなくなるだろう?」
「そこまで言う?まあ確かにそうかもしれないけど・・・」
「ごめんよ。さっきから振り回してる」
「いや、いいよ。その通りだと思う」
「ちゃんと聞かせてくれよ」
「・・・」
「どうした?」
「いや、言葉にできなくて」
「慌てなくていいよ。順番に話してくれればいい」
「ありがとう。そうだね。あの。そう。そう」
「?」
「細波だけで人は満足する・・・かな・・・?」
「んぁ。それはまた抽象的だな」
「淋しいんだ。僕にはその波の発生源が見えない」
「・・・あぁ。何となくわかった」
「こちらから波を返せば、向こうから返事のように波が帰ってくる」
「ただ、何かがそこにいるということしか分からない、か?」
「そう。そんな中途半端な想い、僕はしたくないんだよ」
「ならやめればいいんじゃないのか?」
「僕はそう思う。でも周りは違う。原型が留まらないほど波を立ててる」
「気に入らないのか?」
「僕は水遊びをしたいんじゃない。言葉遊びをしたいんじゃない」
「そう思うことは悪いことじゃないだろう?」
「僕は遊びとして捉えられることが嫌なんだ!!」
「お・・・」
「・・・ごめん」
「いや。ストレートに不満が聞けてよかったよ」
「・・・」
「どうした?」
「・・・つらい」
「・・・分かってる」

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