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呼吸に機能があっても価値はない


今日は。
当たり判定を実装した。
ボケにボケを重ね、なんとか完成。
ってか。
教授のサンプル、防御範囲と攻撃範囲考えてデータ分けてたっぽいけど、
実際当たり判定してる部分を見てる限り、厳密な分け方をしてない気がする・・・
いや、オレの思う防御範囲と攻撃範囲がまず間違ってるのかもしれんけど。
むむむ。

明日からはいよいよ学校。
いい加減他の課題にも手を付けねば。
学校にいる間は他の課題をして、帰宅後はシューティング作るか。
時間配分的にも、それがいいかな。多分。


・・・はぁ。
自分のことだけを考えて生きる、とかいうのは、考え方によっては、
自分のことは自分でちゃんとする、とも、自己中心的、とも取れなくもない。
自分には他人のことに口出しするだけの権利がない。
というのも、他人に対する知識が自分になさすぎるから。
本当の意味で、その人を理解することができないから。
だからこそ、自分のことだけのことしか考えられない、んだけども。
誰か自分のために何かを考え出したら、どうだろう?
それを迷惑と思うだろうか?
「お前に何が分かる」と突っぱねる?とにかく迷惑?
いや、むしろ。
自分のことを分かってもらおうとすると思う。
こう考えていて、こうなんだ。こう感じていて、こうなんだ。
それは、いいこと?
いや、どうだろう。

でも、もし、その考え方が通用するのなら。
分かりたいと思った何かは、自分から自分のことを話してくれる、ということ。
自分は理解をするための種を集められるし、
相手は分かってもらおう種を渡そうとする、ということ。
本当の意味で相手のことを理解はできないかもしれない。
相手の辿って来た道を、自分が体験したわけじゃないのだし。
でも、だからこそ、理解できていない何かがそこにあって、
理解する、してもらう過程が生まれる。
それは決して負の要素じゃない。はず。

負の要素になり得るのは、自分が相手を理解したくないと思ってしまう、とか、
相手が理解してくれないと感じる、とか、そういう時。
ただ。何処まで行っても。
自分には自分の考えがあって、相手に自分の考えを押し付けてしまいそうになる。
そんな自分が、嫌いだ。
自分の言動すべてに責任が持てない自分が、嫌いだ。
すべての言動をコントロールする完璧主義者を目指している?
・・・そうかも知れない。

でも。
自分の価値観でするコントロールする言動なんて、そんなに大事だろうか。
重い重い責任を背負っている時には、確かに大事かもしれない。
けれど、それは。
不完全ながらも今ある自分を否定していることと変わらない。
○○ができない自分が嫌い。できる自分なら好き。許せる。
そんな、感じ。
嫌いな自分は、そんなにダメなのか?
相手に考えを押し付ける自分は、ダメなのか?
相手の理解がない、何もない場所に、自分の理解を、何かを持ち込んで。
それは、ダメなことなのか?
それが相手を不幸にしているのなら、ダメなこと。
だけど。
それが相手を幸せにしているのなら、どうだろう。
でも、それすら理解できない。
相手が幸せかどうかなんて、自分には分からない。

でも。
お互い理解を持ち込み持ち込まれる、という関係は。
まるで、呼吸するような感覚がする。
息を止めれば苦しい。
だけど、吸って吐き出すことで、楽になる。
吸えるから、吐けるから、楽になる。
空気を汚くしたくない、なんて思いで息を止めても、
何の解決もなく、むしろ苦しくなる。
吐き出した空気がその後どうなったか、なんて責任持てないけども。
最低限。
それによって、自分は楽になれる。
そう。問題は。
自分だけが楽になっても、意味がない。
周りを犠牲にしているだけなのなら、ただ自分が邪魔なだけ。
だけど。
木は二酸化炭素がないと光合成できない。
木にとって光合成は呼吸だろうから、それはきっと苦しい。

気をつけなきゃいけないことは、息をし過ぎても苦しい、ということ。
それこそ、阿吽の呼吸のように、吸って吐いて。
そのバランスが崩れると、自分達が崩れる。
そんな感じが、お互いの理解にもある気がする。
ただ。
そもそものこの理解が他人にとっては間違いという可能性もある。
むしろその方が高い。

きっと。
こうやって不特定で何処かに何かを吐き出そうとする行為は、
石橋を叩くような行為なのかもしれない。
『この考え方を、貴方は理解してくれるのでしょうか?』
という、無意識な問いかけなのかもしれない。
吐いて吐いて。吸うことができないような、まどろっこしさ。
でも。
それで窒息死しても、オレはきっと文句が言えない。
そうなってしまったという現実に歯向かうだけの力はここにはないのだし。
このまま溺れ死ねばいいよ。
もともとそのつもりだった。
誰だよ。息を吹き込んだのは。
頭が変になる。ってかなってる。
もう、帰ってくるんじゃないよ。

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